パンチラの歴史
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| 歴史と発祥時世の調査結果 | ||
| 人々がそれぞれ違う道を辿ってきたように、パンチラにも今日まで歩んできた軌跡があります。今日はその発祥、歴史、発展について迫ってみようと思います。どこで誕生し、いつ頃からその概念が定着したのか。残念ながら現存する史実に明確な記述はありません。なのでこれから述べることは憶測になってしまうのですが、着眼点として興味深い資料だと言えるでしょう。起源や伝来の時期、どこから伝わったのかなどを調査しました。 |
| 起源ときっかけ | 軌跡と日本文化に根付いていく過程 | |
| まず起源についてですが、これはおそらく日本で発祥したものではないでしょう。なぜなら江戸時代以前の日本にはパンチラの命である下着を着ける習慣がなく、下着を着けていなければ見えるはずもありません。これに対し洋服は下着を着用する習慣が昔からあったようです。中世ヨーロッパの貴族の婦人たちは体系をより細く、か弱く見せるため鉄のコルセットで上半身を締め付け、呼吸困難を起こしていたという事実も伝わってきています。洋服の習慣は次第にアメリカに移り、次第に世界中に広まっていきました。日本も例外ではありません。鎖国(外国と国交を持たない政治体制)が第一の国政だった江戸時代も末期の1853年、遥かアメリカ大陸からペリーを乗せた黒船が浦賀にやってきました。要求はずばり日本の開国。そう、これが日本に洋服及び下着着用の習慣をもたらしたきっかけとなったのです。2度のペリー来航に当時の江戸幕府も思い腰を上げ、薩長同盟との内乱もありとうとう日本は完全に開国に踏み切りました。そして迎えた文明開化、明治時代の幕開けとともに廃刀令、それまで国武士の象徴であったちょんまげの廃止令が発布され、いよいよ欧米の洋風文化が根付きはじめました。つまりパンチラのルーツはかのアメリカ合衆国、原因は黒船来航から文明開化にかけての一連の歴史変革期にあると言ってよいでしょう。年号にして具体的に述べると1853年ペリー来航〜1867年大政奉還、王政復古にかけての西洋文化の入国、そして日本文化の変動、近代化の時期に発生したと見て間違いないでしょう。文明開化には大きな因果関係があるのです。 | 西洋の洋服文化が流入した明治時代、しかしながらその文化は日本全国にはすぐに定着するはずもなく、しばらくは貴族中心の文化として根付いていました。大正時代に入り貴族文化が最盛期を迎えると、鹿鳴館という西洋の舞踏会を真似た洋館が建設され、貴族たちはドレスを着て日夜西洋のダンスに明け暮れていました。しかしこの頃はまだ「女性はしとやかに、必要以上に肌を見せてはならない」という考えが浸透していて、スカートを履くようにはなったもののその丈はくるぶしまであるほど長く、いくら婦人たちが激しく踊ってスカートの裾を乱しても到底パンチラには行きつきません。パンツが見えるほどのミニスカートが定着していったのは、おそらく戦後、昭和に入り基本的人権の尊重や言論の自由・報道の自由・民主主義の確立が認められ、メディアが発展しそれまでにない刺激的な衣装を身に纏った歌手やアイドルがテレビに進出するようになってからだと思われます。民衆はこのような芸能人のスタイルを最先端のファッションとして位置付け、競って真似するようになります。肌が見える面積が多くなればなるほど、またこのようなファッションをする婦人が多くなればなるほどパンチラという現象が発生する確率が高くなります。まとめると発祥は文明開化期、定着・浸透は昭和時代、特に日本国憲法の制定以後であると推測されます。 |
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| 編集後記 | ||
| 現在日本は平成の世、自由主義が根底に深く根付ききった風土の上、国民は平和に暮らしています。そして文化・文明は細かく枝分かれし進化を続けています。女性の下着の種類も豊富になり、様々なパンチラが見られるようになりました。これは大変喜ばしいことですが、発展を続ける日本は便利にそして物資が豊かになりすぎて、昔よりはるかに頻繁にこの現象が見られるようになり、これに対するありがたみが薄れてしまったように思います。しかし忘れてはいけないのは決して平和に慣れすぎず、何事にも感謝する心を大切にするということなのです。 参考資料/近代日本の幕開け、日本と世界の服装の歴史、アイドル歴史大辞典 出字樽大学名誉教授監修 |
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