パンチラ 大百科

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パンチラとは、簡潔に言うとパンツ(主として女性)とチラリズムという言葉を結合させた略語である。チラリズムという言葉については後述する。近年その人気は破格の勢いで高まりつつあり、“全部見える”ということよりも人間の興奮中枢をかき立てるとして注目を集めている。ではなぜ人はこの光景に興奮を覚えるのか。研究結果をここに発表しよう。 この起爆材料としてまず大前提となってくるのが、“全部見える”つまり丸見えの状態ではなく、“少しだけ見える”“チラっと見える”と言うことである。両者は同じようなもののようで、実は似て非なるものである。もう少し詳しく言うと、「パンチラ」と「パンモロ」は言葉としては類義語であるが現物として見ると全く異なる属性を持っているのである。これはどういうことか。原因は多々あるが、一番に挙げられるものとして“想像力の発動の有無”にある。つまり、チラっと見えるというのはあくまで全部は見えていないのだ。これは些細な事柄であるようで実は大変重要な役割を担っている。人の意識下には目に見えないもの、まだ知らない事、解明されていない現象を実証しようとする欲求がある。つまり全部見えないからこそ、その見えない部分を自分で補おうと想像するのだ。これは男性であるなら当然の行動であり、無意識のうちに行ってしまう場合もある。そして利点はここにある。自分で想像するからこそ自分の理想を当てはめることがある。これは恋愛、専ら一目惚れという現象の原理によく似ている。人類は恋愛を繰り返しこの高文明社会にまで辿り着いた。いくら技術を発展させても男女間のふれあいなくして存続はあり得ないからだ。話を本題に戻すと、恋愛というのは少なからず相手を自分の理想に当てはめる行為であり、特に一目惚れに限ってはこの特徴が顕著に表れている。一目で好きになるということは、相手の人物像、内面などを知らないうちに外面だけで気に入ってしまうということであり、知らないはずの内面を補っているのはずばり“自分の勝手な想像”である。それも単なる想像ではない。その相手に自分の理想を知らず知らずのうちに当てはめているのである。パンチラもこれと同義で、少ししか見えないからこそ見えない部分を自分の思い通りに想像する。こんな色かもしれない、こんな形状かもしれない・・そこに自分の嫌いな要素は当てはめないだろう、一目惚れした相手に短所を当てはめないのと同じように。つまりぱんちらとは人間の本能に太古から深く息づいた正当な欲求なのである。 これに対しモロに見えるということは、全部見えてしまっているのだからもちろんそこに想像力が働くことはない。それこそありのままである。自分の趣味とは異なるものを着用していてもその事実は変えられない。例え自分好みのものであったとしても、目で全部を見てしまっている以上脳が実像をはっきりと認識してしまっているためそれ以外には存在し得ない。無限に広がる想像の群像を全部見てしまった時点で拒否してしまっているとも言えよう。そう、少ししか見ていないからこそ何回でも、どんな現像でも好きなように自分で創り出せるのである。 このことは実は大きな危険因子を孕んでいる。近年の教育改正によって児童の想像力の欠如が懸念されている昨今、日常生活で想像力の育成をすることはとても重要なことだからだ。ところが最近流行しているファッションは昔に比べ肌が露呈する割合が多く、ちらどころかもろ見える場合が増加傾向にある。つまり想像力を養う機会が減少してきているのだ。想像力を失うとはどういうことかというと、型にはめられたことしかできない・マニュアル通りの行動しかできない社会人が増えるということで、このことから政府は国民全体の自由な創造力、可能性の成長、果ては日本の産業・技術などの発展の停滞に懸念を示している。 |
| 〜まとめ〜相違点と利点・欠点 全貌が明らかになっていないからこそ人間の想像力をかき立てる=間接的要因→自分の理想に当てはめることができる、何回でも修正が効く 全貌が明らかになっている=直接的要因→想像力の発動はない→不変の事実、事実をそのまま受け止めるしかない→可能性の断絶 |
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